第二十六楽章『父が燃えない』へのご来場、誠にありがとうございました。
箱庭円舞曲は、この公演をもって育休に入り、しばらくの間本公演をお休みいたします。
なお、活動休止したまま活動終了(よくある感じに)したりはしません。必ず育休から復帰し、作品をお届けいたします。育休明け公演へのご来場、心よりお待ちしております。
また、メンバーである古川貴義と白勢未生は、育休はいたしません。劇団の育休期間中も、それぞれが個々に活動して参ります。変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げますのでお仕事のご依頼お待ちしております。ご用命は mail@hakoniwa-e.com まで、どうぞご遠慮なく。
Introduction Outline(あらすじ) チケット情報
8/30 Introductionとあらすじを公開!
9/21 チケット販売状況を公開!
原作・脚本・演出
古川貴義
出演
白勢未生(箱庭円舞曲)
相馬圭祐
林和義(VAICE★)
小暮智美(青年座)
安川まり
片桐はづき
井上裕朗(DULL-COLORED POP)
小山貴司
秋本雄基(アナログスイッチ)
古川貴義(箱庭円舞曲)
公演期間
2018年9月26日(水)~30日(日)
タイムテーブル
9月26日(水) 19:30
9月27日(木) 14:00 19:30
9月28日(金) 19:30
9月29日(土) 14:00 19:00
9月30日(日) 13:00 17:00
※赤い文字の回は残席わずかです。お早めにご予約、ご購入くださいませ。
受付開始・当日券の販売は開演時間の45分前、開場は開演時間の30分前です。
開場と同時に、整理番号順にご入場いただきます。
座席には限りがございます。お早目にお越しください。
チケット料金
日時指定・整理番号付き自由席
前売 4,000円 当日 4,500円
チケット取扱
一般発売日 2018年9月2日(日) 10:00
箱庭円舞曲 予約フォーム(9月2日10:00オープン)
Tel:090-9048-5268(担当:松本) e-mail:mail@hakoniwa-e.com
ローチケHMV http://l-tike.com/ Lコード:32820
会場
浅草九劇 MAP
〒111-0032 東京都台東区浅草2-16-2 浅草九倶楽部 2階
東京メトロ銀座線 浅草駅 1番出口より徒歩10分
都営浅草線 浅草駅 A4番出口より徒歩10分
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 浅草駅 A1番出口より徒歩5分
お車でお越しの方・・・駐車場がございませんので近くの有料駐車場をご利用ください
お問い合わせ
箱庭円舞曲 Tel:090-9048-5268(担当:松本) e-mail:mail@hakoniwa-e.com
スタッフ
舞台美術:稲田美智子 照明:南香織(LICHT-ER) 音響:岡田 悠 舞台監督:鳥養友美 衣装:中西瑞美 音楽:monologue 記録写真:鏡田伸幸 制作:松本悠(青春事情) 企画製作:箱庭円舞曲
協力:ウィーズカンパニー écru EFFECT クリオネ チーズfilm 東宝芸能 有限会社is リベラス
助成:芸術文化振興基金
Introduction
自分のことを書こうと思ったら、他人の話ばかりになってしまう。
毎回そうなのだ。
箱庭円舞曲の台本を書くときは、自分の内側にある、
現代社会の中で生きていくために発生する、切実なわだかまりを描こうとする。
誰かとの軋轢、誰かとの齟齬、誰かとの不和、摩擦、確執、対立、葛藤。
自分を描くためには、常に誰かが必要になる。
それは、そうなのだ。
自分が自分であるということは、自分だけでは担保できない。
あなたがあなたであることを認めてくれるのは、あなた以外の誰かなのである。
回りに誰かがいるから、あなたはあなたでいられる。
だから、必死で自分のことを書こうと思っても、他人の話にばかりなってしまっていた。
そういうことなのだろう。
ならば。
私を、私として最初に認めてくれたのは、誰なのだろう?
両親のどちらかである可能性が高い。
生まれてきた瞬間を見た、ということであれば、母よりも助産師や医師が先になってしまう。それでは味気ない。
では命名してくれた瞬間だとしたらどうだろう。
私の名前を付けてくれたのは、父だ。
あの父のことだから、私がまだ母の胎内にいるうちに、考えに考えて決めてくれていたはずだ。
祖父の名前から一文字受け継いでいた父は、同じ一文字を私にも受け継がせた。
私も子を持つことになったら、その一文字を引き継ごうと思ったこともあったが、やめた。
一文字あろうがなかろうが、家族は家族、血縁は血縁だ。
そんな風にして、父の話になった。
父は、福島県耶麻郡磐梯町大字更科字大曲で生まれ育った。
1950年8月4日に生まれ、2017年12月29日に死んだ。享年68歳。
友人も多く親戚づきあいもまめだった父の葬儀には、たくさんの人が訪れ、香をあげてくれた。一介の地方公務員の葬式にしては、盛大だったと思う。
長くはないかもしれないが、濃い生涯だったのではないだろうか。
若かりし頃は宮沢賢治に憧れ、詩作を志し、芝居にも片足突っ込んでいたらしい。
自分が演劇なんぞを始めてから、叔父から聞かされた。驚いた。
我がことを我が子に語らない父だった。
戒名は「堅峰直英清居士」になった。
私に引き継がれた一文字は、含まれていない。
一度、父の話を書いたことがある。
2011年9月に、日本劇団協議会主催で上演していただいた『父が燃える日』という作品である。還暦を迎える父を労おうと、子供たち三人で家族旅行を計画し訪れた旅館での、数日間の物語だ。
もちろんフィクションだが、前年の夏、父を実際に還暦旅行に連れ出しており、「もしもあの時、実はこうだったら?」「もしもあの時、こうなっていたら?」と妄想を膨らませながら書き上げた記憶がある。
この公演は、あまり私の芝居を観に来なかった父が、珍しく観に来てくれた。
自作を観てもらったのは、10年ぶりくらいだったと思う。
観終わっての感想は、ほとんどなかった。
こちらも恥ずかしくて照れ臭くて、ちゃんと聞こうとしなかった。
聞きたくても聞けない今となっては、後悔するほかない。
父は、あの作品のことをどう思っていたのだろうか。
父は、私のことをどう思っていたのだろうか。
私を人間として最初に認めてくれた彼を燃やしながら、
こんなことばかり考えている。
人間は、なかなか燃えてくれないものだ。
原作・脚本・演出:古川貴義
Outline(あらすじ)
現代、会津若松市の火葬場、待合室。
市営の火葬場は市街地から離れた辺鄙な場所にあり、訪れる人が居なければ職員も出てこない。
よく言えば静謐な空間である。
人の出す音よりも、虫や風の音の方が姦しい。
遺体が燃え尽きるのを待つ人々は、故人の思い出を問わず語りに語り合う。一体どんな人間だったのか、何をして、何をしなかったのか。父母や親族との関係、友人との交流、家族との珍事。故人がどういう人間だったかを、それぞれが勝手に語り尽くす。
語っても語っても出てくる、出てくる、また戻る、同じ話が繰り返される、捉え方が人によって微妙に違っている、でも答えは分からない、故人しか分からない。
同じとき、同じ場所で、同じ時空を共有していたはずなのに。
あの人はあの日、何を考えていたんだろう。
遺された私たちには、想像することしかできない。