公演期間
2014年10月23日(木) ~ 2014年10月28日(火)
会場
SPACE 雑遊
脚本・演出
古川貴義
出演
小野川晶(虚構の劇団) うじすけ 家田三成 辻沢綾香(双数姉妹)
INTRODUCTION
劇団体制を一旦終了して、まもなく一年。
このたび、uraniwaと銘打って、今までに箱庭円舞曲ではやったことがないことをやります。表の箱庭円舞曲とは違う面をどんどん出していきます。まずは古典劇(ただし落語)。そしてメタ演劇。2本立て公演というのも初めてです。同じ5名のキャストが別な役で両演目に出演。ちなみに、今回初めてご参加いただく方がほとんどです。これもまた新鮮。
さて。古典落語とメタ演劇。
何の共通点もないかと思いきや、一つあります。
それは、「信じる」か「信じない」か。
落語では、独りの人間(噺家)が幾通りもの人物を演じ分ける様を観ているうちに、いつの間にか、その幾人ものキャラクターが観客の脳内に立ち現れます。噺家の表情、仕草、発した言葉を元に、脳内で人物を補完し、ドラマを体感しているのです。登場人物が実際にその場に存在するわけではないのに。つまり、噺家から発せられる情報を無意識に「信じる」ことで、落語というエンターテイメントは成立している。これ、実はものすごく高度な芸術体験なんですよね。
そんな古典落語の中から選んだ題材は、
『厩火事』(Traditional mix)。
夫を信じられなくなってしまった妻の悲劇を素材に、演劇という可能性を「信じる」たくらみ。
対してメタ演劇は、目の前で起こっていることを「演劇(≒つくりもの)」だと了解された上で創られています。言い換えれば、「信じない」ところから始まっているのです。シェイクスピアやベケットなどにも見られるように、しばしば劇中劇の構造で、「演劇についての演劇」の形で創られています。と、こう言葉に表せてしまう時点で既にメタではないしメタなんですが。メタ演劇の凄いところは、目の前で実際に上演されている「演劇」を、「演劇だ」と言い切ってしまうことで、それと同時に、今観客が観ているものはいったい何なのだ? という問いが生まれることです。この合わせ鏡のような入れ子構造は、その場にお客さまが存在しなければ創り得ない仕組みだとも言えます。
そんなことを意識しながら創る現代メタ演劇、
『常時裏』(Modernism edit)。
今も昔も変わらない、古典的な悩みを抱える劇場の受付スタッフたちを素材に、演劇というまやかしを「信じない」くわだて。
独りとチーム。昔と今。脳内と眼前。
発信者と受信者。創り手と観客。信じると信じない。
信じるのは信じられないからで、
信じないのは信じたいから。
あなたのことなんて、信じられないけど信じるし、
信じたいけど信じない。
Uraniwa Vol.1
「古典よりは悲劇的な」